スーパースピーチキッズアカデミー
代表

田中 響子

スーパースピーチキッズアカデミー 代表
1976年生まれ 東京都出身、ルクセンブルク在住

親子コミュニケーションの専門家

名門女子校である横浜雙葉中高の教員採用試験に合格、
修士2年で非常勤講師として勤めた後、音楽科教科主任として着任する

31歳の時、子どもの自己表現教育を日仏で比較するため、
パリ大学大学院へ留学、結婚を機にルクセンブルクに移住

日本大使館現地職員(領事班)として8年半勤務後、
海外に住む日本の子ども向けに、日本語でのスピーチ講座を開設

中高教諭8年間の経験×国内外2,500人の指導経験×海外子育て
×200冊以上のビジネス書のスキルからお伝えした
親子コミュニケーションスキルは、
東京でセミナーや親子ワークショップで提供したところ、
親子関係が劇的に変化したという声をいただくようになった。

そこで、日本人親子に特化した
「子どもが思春期を迎える前に親が身につけておきたい!
 親子コミュニケーションノウハウ」

として開発し、

「①褒める、②問いかける、③聴く、④深掘りする、⑤モチベーションを上げる」という
「15分間の親子1on1の流れを円滑に進める5つのコミュニケーションスキル」

などを含んだ「Kyoko式 親子1on1メソッド」として、提供中である。

思春期を目前に控えている親子に対し、

「ウチの子は何を考えているのかわからない…」
「ウチの親は私の気持ちを全然わかってくれない!」と

相手の気持ちが見えない「イライラ親子」を、

「こんないいところを持っているウチの子なら、きっと任せて大丈夫!」
「もし悩んでもウチの親なら味方になってくれるから安心!」と

相手を想い合う「自立した親子」に変化させるなど成果をあげている。

また、親子コミュニケーションの専門家として、
山陽新聞社の子育てサイト[LaLaOkayama]にて、子育てコラム執筆中

教育学修士、中学・高校教員免許(音楽・専修)、
コーチング心理学協会認定・認知行動コーチ、
アサーション〈自己表現〉トレーニング ベーシックコース修了

大学院在学中、音楽之友社より中学生のクラス合唱曲として
『たんぽぽ』他を出版。

「3歳から4ヶ国語を使い分けるマルチリンガルキッズ」2児の母でもある。

 

お客様の声

★ 今まで学校のことは一切話したがらなかった娘が、親子1on1がきっかけで、家事をしている時に自分から学校であったことを話しかけてくれるようになり、子どもから話しかけてくれる回数が圧倒的に増えた(小5女の子のママ)

★ 友人関係で悩んでいる娘が、「さっきは言えなかったんだけど」と親子1on1が終わった後でも悩みを話してくれるようになった。親子1on1をすごく喜んで「毎日やろう!」とせがまれるように(小4女の子のママ)

なかなか本音が言えなかった息子が、親子1on1をキッカケに、学校の先生に怒られたことや悩んでいることを少しずつ教えてくれるようになった(小2男の子のママ)

今まで教えてもらえなかった「学校に行きたくない理由」を話してもらうことができた。親子1on1をやろう!というと「しょうがないなぁ」という態度を見せつつ、話しているときはニヤニヤしている息子の顔を見て、嬉しくなってしまう(小3男の子のママ)

ママが自分のために勉強してくれている(講座を受けてくれている)と知って、毎回ママが変わっていくのを楽しみにしてくれている(小2男の子のママ)

★ 15分が思っていたより長かったことを体験して、いかに今まで子どもの話をちゃんと聞いていなかったか実感した(小4男の子のママ)

★ 講座で学んだことが普段の子どもとのコミュニケーションでも反芻されるようになり、子供が思っていることを正面から受け止められるようになった(小4女の子のママ)

(お子さんの声)
◆「家族4人でいる時は、お父さんも弟もいるからみんなで一緒の話題を話すけれど、親子1on1の時は、ママと私で内緒のことを話してる。5分だと物足りないし、1時間だと長すぎるから、15分だとちょうどいい!」(小4女の子)

◆「親子1on1は楽しいから、みんなやったらいいと思う!」(小2男の子)

 

ミッションとビジョン

日本の子育ては「親はこう育てるべき」と、子どもが小学生になっても、親に求められることが多いと感じています。

しかし親子関係は、子どもの成長とともに

「親が子どもを育てる」という一方通行の関係から

「親が子どもの相談相手になる」という相互の関係へと変化していきます。

でも親がその変化に気づかず、いつまでも親から一方通行の関係でいると、

親が子どもに過剰な期待をかけたり、親の意見だけで子どもの本音や素質を潰してしまう現実があります。

また、家庭で「相談できる関係」を築けていないと、

子どもが大人になっても、言いたいことを我慢してしまったり、必要な時に人に頼みごとができずに遠慮したり、

悩みを相談できずに一人で抱えてメンタルを壊してしまうようになってしまいます。

そして、子どもの頃から「親の期待に応える良い子」を知らず知らずのうちに演じ、

自分が我慢することが当たり前になってしまうと、過去の私のように自分を犠牲にするようになり、

やがて自分が親になっても「自分さえ我慢すれば」が自分の子どもにも伝染し、

不本意なことに「子どもが我慢して本音を押し込む」という構図に当てはめていたことに気づきました。

思い返せば、母が我慢していた姿を見て自分も我慢していたように、自分も同じことを、別の形で自分の子どもにさせていました

こうした負の連鎖を断ち切るため、私は、親子コミュニケーションを提唱します。

親が子どもを愛すれば愛するほど「キチンとしよう、正しく育てよう、良い子に育ってもらいたい」と手をかける。

でも親子には、子どもの成長時期に合った「適切な親子の距離」がある。

子どものありのままを認めてあげる、任せる、肯定する、外国で当たり前にされていることを、

日本人に受け入れられやすい形で、お伝えをしていきたいと思います。

私のミッションは「親子が無条件で認めあい、愛し合える関係をサポートすること」

心配するのではなく、信頼することで、本当の愛が通います。

親が子どもを育てるのに必要なのは、育児の知識よりも、コミュニケーションスキル

1対多ではなく、家庭でできる教育を進めることで、

日本の親子関係一つ一つが社会でもっと尊重され、不必要な同調圧力がなくなることを願っています。

素晴らしい可能性をたくさん持っている日本の子どもたち、

「“どこにいても、誰といても、自分を活かして世界で活躍できる人”を育てたい」、これが私のビジョンです。


私が大切にしている5つのこと

❶ いろんな方とお話させていただく時に、まず目の前のお相手を知ろうとすること。

保護者の方やお子さんからのお言葉はもちろん、話す時の表情や言葉の選び方、

雰囲気、ご本人の考え方のクセなどの非言語情報から、

お子さんの特性を活かした「その親子にとって最適なコミュニケーションのツボ」を見つけます。

 

本当の信頼関係は「意見の違いを大切にする」ことから。

100通りの親子がいれば、100通りの子育てがある。「個々の親子関係」を尊重します。

 

❸ お伝えする内容は、家庭内でとどまらず、

「自分の考えを自分の言葉で、他者にわかりやすく伝えるスキル」のように、

お子さんが将来社会で活かせることを意識しています。

 

❹「変えていきたい!」の気持ちには、熱量を込めて全力で応えながら。

困った時、途中で心が折れそうになった時には、穏やかに、

いつでも温かく包んでもらえる「帰れる存在」でいることを心がけています。

 

❺「できなかったこと、うまくいかなかったこと」をただ反省するのではなく、

そこから何が学べるのか、次にどう活かせるのか、

全ての経験を「使う」方法を保護者の方たちと一緒に考え、

未来へ目を向けることを常に意識しています。


開発経緯

2児の妊娠・出産をきっかけに、子育て方法を学ぶために、
いろいろな育児書を読みまくりました。

しかし、学んだ知識を参考に実践しても、
我が子が日々癇癪を起こして泣き叫ぶ様子に呆然と途方に暮れたり、
実は育児書が通用する子育ては少ないのではないかと感じたことより、

親が「子育てスキルを身につける」より
「“他者を活かすコミュニケーションスキル”を身につける」の方が
より重要なのではないかと気づき、

「Kyoko式 親子1on1メソッド」を作りました。


気持ちを飲み込んでいた子供時代

幼少期より両親に「周囲の状況を判断し、適切な行動を自分で取ること」を常に求められたことから、

次第に人の気持ちや状況を察知、場に合わせて適切に振る舞うことが得意になり、

小学校でもリーダーシップを発揮、友人に恵まれ、誰とでも仲良くできることが自分の長所だと思っていました。

しかし両親が厳しかったことから親の顔色を伺ううちに、

「“自分らしい自分”より“相手に求められる自分”になろう」「自分さえ我慢すればすべて丸く収まる」と、

言いたいことがあっても我慢して飲み込むようになり、自分の感情を二の次にしてきました。

 また、母がピアノ講師だったことから幼少期よりピアノの英才教育を受けていましたが、

そもそも好きでもない曲を練習することが大嫌いだった上、

思春期になればなるほど、人前でピアノを弾くことが「触らないでほしい自分」をさらすようで苦痛になり、

次第に「自分を表現できない自分」にコンプレックスを抱えるように。

何か悩んでいることがあっても「親に話しても自分の気持ちは理解されない」と常に本音を隠していた子供時代でした。

教員になったきっかけ

「演奏するより机上の理論派」だった私は、ピアノの先生の勧めで小5で作曲科に転科。

高校卒業時に作曲専門への道も視野に入れますが、自分の才能の限界や就職面から音大進学が決意できず、

教育学部音楽専攻作曲科へ進学を決めました。

在学中、家庭教師や予備校のバイトを通して、子どもたちの可能性を引き出すおもしろさと奥深さを実感、

しかし大学4年の教育実習の時、1対多の教育に関わる難しさ

研究授業がうまくいかなかった経験にぶち当たり、自分は教員には向かないと思いました。

奇しくも翌年、大学の恩師の紹介で、

名門女子校である横浜雙葉中高の教員採用試験に合格、

修士2年で非常勤講師として勤めた後、音楽科教科主任として着任。

「先生」と呼ばれることにプレッシャーを感じながらも、

「1対47」かつ「本音を言えない思春期の女子」という教育現場で、

「生徒たちは、見た目以上に保護者との関わりを必要としていること」

「生徒も保護者もお互いに相手のことを想っているのに、
本音が伝わらずにすれ違っていることが、さらに思春期の親子関係を複雑にしていること」

を強く体感しました。


外国に住んで気づいたこと

学校での経験などから「日本の子どもたちは、自己表現が苦手だと強く感じている、

でも海外の子どもたちは、自由に自分を表現している。

この違いは、学校教育のどこにあるのか」が、私の研究テーマになりました。

海外の子どもたちは、相手と意見が違うことを恐れず、

「自分が思ったこと・感じたこと」を大切にしています。

例えばフランスでは、子どもだけでなく大人も、自己尊厳が高い人が多いことに驚きました。

またルクセンブルクでは、神奈川県サイズの国土に世界170ヶ国の人が住み、

文化が入り混じっていても、それぞれが個を大切にしつつ、相手を尊重しているからこそ共存できるのだと感じています。

また生まれた時から「子どもは一個人である」という意識が強いので、

小さい頃から子どもの特性を認め、親と子の距離感は日本より離れていることにも関係していると感じます。

なぜなら、青少年や大人になってから何か問題を起こした時、基本的に本人に責任があると捉えられ、

親に対して「育て方が悪い」という批判は聞かないからです。

大人が自分のことを大切にしていると、それが子どもにも伝わります。

また「自分が大切である」と考えるからこそ「相手にとっても“自分が大切”なんだ」と自然に理解しています。

親は子どもに対して「心配する気持ち」よりも「大きな信頼」を持っていることが大きな違いであるように感じています。

ルクセンブルクってどんなところ?

あなたは、ルクセンブルクという国名を聞いたことがありますか?

よく「ルクセンブルクって、ドイツのどこ?」とか「ベルギーの一部?」と聞かれることも多いのですが、人口約63万人、神奈川県ほどしかない小さな国土に 170ヶ国以上の人が住む言葉も文化も入り混じった国です。

フランス、ドイツ、ベルギーに囲まれた、現在世界で唯一の大公国、金融で栄えている、周辺国の中では比較的治安がよく、経済的にも豊かな国。
ベネルクス」の「ルクス」は、ルクセンブルクのことです!
私は現在このルクセンブルクで、2人の国際児を育てています。

ルクセンブルクは「言語スパルタ教育」と言われるほど、教育も独特です。
(「語学学校か⁉️」と思うほど、とにかく学校での語学の授業が多いです!)

現地のクラシックな学校では、公用語3ヶ国語(独仏ルク)を、
義務教育である4歳から小学校で徹底的に学習します。

幼稚園は、ルクセンブルク語中心、
小学校1年からは、ドイツ語中心、
2年生から、そこへさらにフランス語が加わり、
3年生からは、ドイツ語とフランス語がほぼ半々ずつ。

というのも、

中学校からは、授業科目をドイツ語(数学のみフランス語)で、
高校からは、ほぼ全ての授業をフランス語で受けるからです。
最終的には、筆記試験や卒業試験(大学入学許可試験)が受けられるレベルまでマスターします。

もちろん、英語やラテン語、英語に続く第2外国語の授業なども入ってきます。

それに加え、170ヶ国以上の人々が住む国ですので、それぞれの持つ言葉もさまざま。
子供たちは、学校での言葉以外に、母の言葉、父の言葉など、3歳から4ヶ国語、5ヶ国語を使い分けるのは、ごくごく当たり前の環境です。

時には、同じ相手でも、話が進むうちに、次から次へと使う言語が変わり、
時には、相手が使える言語によって、自分の使える言語から選んだり。
自分の話す言葉が、場所や相手によってコロコロ変わる光景は、そうどこでも見られないもの。

世界には、こんなマルチリンガルの国が本当に存在したんだ、と思いながら、
毎日いろいろな言語に、もまれながら生活しています。

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