【日本の「海の外」に出る】
「1週間でもいいから!ウチでよければ、いつでもいいから!
とにかく、一回日本を離れて、外に出なっ!」
当時日本でいろいろと悩んでいながら
「パリで生活したいの!」といってた友人に、
ラブコールしてから数ヶ月。
いつかどこかで、ゼッタイに来るとは思っていたけど、
「ホントに、よく来たねー」と、
ルクセンブルクの自宅で、顔を見合わせて話しているフシギ。
そこで日々話してて、
海外に出るイミ、
自分が海外に出ようと思ったイミを改めて思い返し、
当時の記憶を辿るきっかけになった。
30歳になる直前、
これからの自分の人生を考えた。
このまま定年退職まで、
あと30年この仕事をできるかと考えた時に、
一旦、人生の転機を作ろうと、
あと1年で今の仕事を辞めようって決めた。
そして、仕事を辞めないとできないことをしよう、
でも今後の仕事に役立つことをしようと思って、
高校の頃から、どこかでずっと引っかかっていた
フランスへの留学を決意、
でも、帰ってから仕事に繋がるように、
語学留学ではなく、音楽教育を比較研究するため、大学院に留学、
遅くとも4年後には日本に帰ってきて再就職しよう、と決めた。
当時、安定して、それなりの収入を得られる仕事を辞めることに、
周囲の猛烈な反対にあうことはわかっていたし、
海外に出ることに対しても、
いいカオされないこともわかっていた。
だから、全て自分で決めて、
年度始まって早々に職場に退職を伝え、戻る道を絶った上で、
「来年3月で仕事辞めて、9月からフランスに留学するから」
と、最後に家族に伝えた確信犯(笑)。
でも、それがあるからこそ、
確実に、いろんな意味で人生が変わった。
当初4年で帰るはずが、
15年経ってもまだ海外にいることになっているのは、
「留学しようと決めた」瞬間があって、
そこからの出会いが、
環境を動かし、自分を動かし、人生を動かしたから。
「フランスに留学する」と決めてから、
週末だけ通っていたフランス語の講座を平日にも増やし、
仕事の合間を縫って、通信講座も加え、
フランス語の会話力をブラッシュアップするために、
フランス人の友人を増やして、東京観光ガイドを始め、
留学先を決めるために、夏休みに
フランス国内4つの大学(パリ・南仏モンペリエ・リヨン・ストラスブール)を
飛行機と電車で回って下見しに行き、
その後フランスで教育を比較する時、日本の教育を忘れないように、
学校での仕事にも没頭した。
それが、よかったか、悪かったか、なんて、
「ずっとそのまま職場にいた」という
もう一つの選択肢を体験していないので、
わかんない。
でも、間違いなく、今の価値観につながっている。
最近SNSを通じて、20代の若者(笑)から、
ワタシに連絡が来るようになった。
そもそもルクセンブルクに住む日本人の数が少なく、
その上で、積極的に発信している人は少ないので、
「ルクセンブルクについて教えてください!」と連絡が来る。
ルクセンブルクの情報はもちろん、
「日々の生活はこんな感じだよー!」
「日本にいる時と違うことはこうだよー!」
って話す。
と同時に、いざ住むとなったら、
滞在許可・労働許可の必要性と取得のハードル、
日本大使館職員として勤めていた時に感じた、
海外で日本人が住む難しさ、
その他、
自分の立ち位置を異国で確立する課題や試練など、
現実もお伝えするようにしている。
でも、最後に必ず伝えるのは、
「海外に出たい!という直感は、絶対に捨てないでほしいし、
そのエネルギーを忘れないでほしい。
周りの反対にあったとしても、
「自分にとっては、それが間違っていない」という気持ちを、
どこかで感じていてほしい。
まずは1週間でもいいから、外に出てごらん」
ということ。
「外に出よう」と決めてから変わるし、
日本を出て、変わるし、
海外に着いて、変わるし、
海外で生活している間に、
また変わる。
そして、
日本に帰った瞬間、変わるし、
最後に、
日本に帰って数日後に、また変わる。
そこに「どうして?」なんて、ない。
アンテナさえ張っていれば、
いくらだって勝手に変わるんだよ。
要は「自分が変わっていくこと」を、
心底楽しめるかどうか。
友人がウチに来てまもなく、
改めて、
「どうしてルクセンブルクに来ようと思ったの?」
って聞いたら、
「アナタに会いに、よ」
って言ってくれてたのに、
パリに戻った翌日には、
ワタシに、じゃなくて
“親友になったワタシの10歳の娘(笑)” に「会いたい」
とメッセージが来たさ。
ま、ニンゲン、そんなもんよね〜(笑)。
同じく親友が去って、昨日の夜、涙ぐんでいた娘たちを連れて、
彼女が滞在しているうちに、パリに行こう。