【「自己表現」の追求とヨーロッパにいるイミ】
人前で何かをすることがキライで、本当に恥ずかしがり屋だった娘が、2ヶ月くらい前からクラシックバレエを習いたいと言い始めた。数年前から「バレエに興味がある」と言いながら、「やってみたら?」と声をかけるたびに「恥ずかしいからイヤだ」というので、ずっとそのままにしておいた。
「今回は絶対にやりたい!」というので、今年9月からの授業に参加するために、先日入室試験に付き添った。その時、ルクセンブルク市立のコンセルヴァトワール(=音楽学校)の中に入って「自分が今ヨーロッパにいるイミ」など、思い出されたことが、山ほどある。
ルクセンブルク市立コンセルヴァトワール(=音楽学校)。オドロキの詳細は、別記事で!
これまでも、周りのお友達がみんなコンセルヴァトワールに行って、楽器を習っている話を聞いても、
母も祖母も音楽が専門で、それを仕事にしていたとしても、本人たちは音楽を習いに行くこともなく、親が習わせることもなく、周りのママから「習わせないんですか?」と不思議がられることがよくあった。
10歳のバースデーパーティー。学校のお友達と、4ヶ国語で折り紙してた(笑)。
「親バカ」的には、彼女は耳がいいし、声もいいので、歌とか合唱が向いているのではないかとずっと思っている。
本人の希望により、3歳でおもちゃのヴァイオリンを与えた時も、何も教えなかったけれど、構え方も弾き方も習ってできるようなものではなく、もともと持っているセンスが結構あると思っている。
でも「センスあるから、いいと思うよ!」と伝えることはあっても、「やったらいいのに」と親のワタシから伝えたことは一度もない。
その根底には、自分の経験があるから。
娘3歳。いっちょ前にサマになって見える(笑)。
自己表現は、決して強制されるものではない。したいときに、したい方法で、自由にするものだと思う。
だから、誰かに強制された瞬間、自己表現は、
小学生なのに大学入試レベルの数学を勉強させられるほど、息苦しくて、
舞台上で無理やり1,000人の前で丸裸にされるほど、ツラくて、
この世から自分を消してしまいたいほど、悲痛なものに変わる。
フランス・アルザスのワイン街道(リクヴィル)
ワタシは幼い頃から、ピアノ科の母の影響で、ピアノの英才教育を受けていた。
幼稚園の時から「日本で一番」と言われる私立音大附属の音楽教室に通わせてもらい、同級生は小学生でテレビ出演して演奏したり、音楽家として活躍している人もいるような、周囲から羨ましがれるほど教育費をかけてもらった自負はある。
でも、人前で表現している姿を見せることが大嫌いだったワタシは、どう頑張ってもピアノは好きになれなかった。
練習するのさえイヤだったので、レッスンでは毎回のように先生に怒られ「この子はピアノに向いていない」「専門を目指すのは辞めたらどうか」と何度も何度も言われ続けた。我ながら、劣等生だったという自信がある(笑)。
勉強は面白くて、小さい頃からひねくれていたから(笑)、音大に行くより一般の有名大学に行った方が、就職に有利で経済的に自立できる、早く一人暮らしができる、と思っていた。
だから「ピアノを辞められたら、どんなにシアワセだろう」と思っていたけれど、いろいろな理由から「音楽を辞める」という選択肢は、高校受験を目指す中2まで、与えられなかった。
フランス・アルザスのワイン街道(コルマール)
小2の時、通っていた音楽教室で、初めて大きな試験があった。「この試験に合格できないということは、音楽家として将来の見込みがない」ので、例外なく「強制退室」を言い渡されるというもの。
実技であるピアノはもちろん、楽典、聴音、初見視唱などなど、試験内容は多岐にわたる。不合格者が出ると、その生徒の先生が誰なのか、ウワサでわかってしまうので、先生たちも相当プレッシャーだったに違いない。
平日は学校があるので、2時間くらいしか練習できなかったけれど、週末は朝から晩まで、自宅の練習室にこもって練習していた。昼ご飯を食べる暇がない時もあった。
小5の時、ソルフェージュの先生が作曲専門だったご縁で、作曲科への転科を勧められ、作曲理論を学ぶために作曲の先生を紹介してもらった。「日本で唯一の国立」の音楽大学の教授なのに、威張ったりすることなく、毎回優しくレッスンしてくださった。レッスンを辞めた後から、その先生が、自分が大好きだった合唱曲「大地讃頌」の作曲者だったことを知り、「もっと価値をわかってレッスンを受けていれば」とちょっと後悔した。
ずっと通っていた音大附属の音楽教室には作曲科がなかったため、引き続きピアノ科として在籍、結局その音楽教室には、持ち前の器用さで数回ある退室試験をくぐり抜け、中2で親から辞める許可が下りるまで在籍していた。
フランス・アルザスのワイン街道(エギスアイム)
その後、大学受験の進路を考えるにあたって「どの学部に行っても、自分のオリジナリティがない」と感じ、紆余曲折あって、高2で作曲科に戻った。
でも「就職に有利」という理由で、音大ではなく教育学部音楽科作曲専攻に進み、学部4年で社会に出る自信がなかったのと、やはり「就職に有利」という理由で修士課程まで在籍した。
就職は音楽にこだわっていなかったけれど、ピアノがキライでしょうがなかった頃には想像もできなかった、私立中高の音楽科教諭の仕事として、8年間ピアノを弾いていた。
年に2回、自分を「カラオケ採点マシーン(笑)」と呼んで、生徒400名分の歌の伴奏をしながら、実技試験の成績を10段階でつけていた。
フランス・アルザスのワイン街道(コルマール)
けれどやっぱり、気分転換とか自分自身の喜びで、これまでピアノを弾きたいと思ったことは一度もない。
黒い物体に向かって、ひたすら弾き方や音色を追求するより、白い紙に黒い五本の線が引かれた上に、自分の気持ちをぶつける方が、性に合っていた。
もちろん、作品を生み出すために、アタマの中に音が湧き出てくるまで、自分の身にインスピレーションが降って来るまで、いろんな芸術に触れたり、感性を磨いたり、ひたすら自分と向き合ったり、締切と戦いながら自分を徹底的に追い込んで、相当苦しむこともよくあった。
そのころは音を追求していたけれど、今、自分は音楽からは少し離れて、言葉にこだわる方に重点を置いている。その2つがつながらない気がするのに、なぜなんだろうと思ったことがよくあった。
「音と言葉」、2つとも見えないけれど、可視化が可能、自分の内面を一人で黙々と表現したり、よりハマっていく素材を探し求めるのは似ていると思う。
音よりも言葉のほうが、日常的に素材としてよく使うから、理解しやすい、使いやすい。だから、共感しやすいし、共感を得やすいんだと思う。
フランス・アルザスのワイン街道(コルマール)
ヨーロッパは、音楽が日常に溢れている。
だからこそ、15年前に留学したくてここに来たのに、そのことをすっかり忘れていて。
ヨーロッパ生活は、すでに自分の人生の1/3を占めるのに、それをどこかで、無意識のうちに軽視していた自分に気づいて、「ああ、ワタシは一体何をやってたんだろう。」って感じて。
今回、娘が「クラシックバレエをやりたい」といったことがきっかけで、コンセルヴァトワールに来て、いろんなことが走馬灯のように思い出された。
ルクセンブルク市立コンセルヴァトワール。無造作に並んでいた楽器にビックリ!
ワタシの原点は、自己表現の追求。
自分自身の表現方法だけでなく、子どもの自己表現、そして、オトナの自己表現。
「日本の子どもたちは自己表現が苦手だけど、ヨーロッパの子どもたちは自由に自己表現をしているように見える。その違いは、学校教育のどこにあるんだろう?」
そう思ったから、自分が尊敬するフランス人作曲家・ラヴェルの生きた地で、同じように息を吸って生活をしてみたくて、フランスに留学した。
自己表現は「自分の人生を表現すること、そのもの」。
特に「今自分のいる場所が窮屈だと感じている人たち」が、自分が表現したい場所に行って、自分が表現したい方法で、自分を解き放てるよう、
そして、いろんな方の「20年前に人生でやり残したこと」を実現につなぐお手伝いができたらいいな、
と思って、今日も活動を続けている。
フランス・アルザスのワイン街道(コルマール)