スキとキライが混在!海外生活の原点パリを客観的に見る

【スキとキライが混在!海外生活の原点「パリ」を客観的に見る】

久々のパリは、せちがらしくて、汚くて、臭くて、相変わらずだった。

車の渋滞がひどくて、クラクションが鳴り続け、せっかちでイライラしているのが伝わってくる。
石畳も歩道の凸凹も多くて、ペッタンコの靴でないと、足が疲れたり転んだりする。

風を感じながら、パリらしい昔からのカフェでお茶をしようと思ったけれど、道路に面している席は大通りでも裏通りでも、車の排気ガスで空気がキレイでない気がして、結局座れなかった。

               サン=マルタン運河近くのビーガン・オーガニックカフェでランチ。ちょっとナゾの食べ物が出てくるけれど、人気のお店だった

ワタシは、パリが好きだった。
留学する前も何回かパリに行き、最終的にパリに留学することになって、ワクワクしていた。

だけど、現実はそんなに甘くナイ。
留学中は「留学生あるある」で、ひたすら孤独に耐える日々、自分が育った環境の「アタリマエ」が、毎日ことごとく破壊され続けて自信を失うけれど、それを共有する相手も、共感してくれる相手もいない。

在籍していたパリ第IV大学(現ソルボンヌ大学)校舎。校舎内に入るたび、歴史的建造物であるだけで気持ちが引き締まっていた

例えば、大学の先生たちには、ソルボンヌのような大きい大学でさえ、研究室がなかった。日本だったら、先生に会いたい時は研究室に訪ねていけば、研究の質問や相談ができたけれど、パリで研究の相談をしたいときは、個人的にメールで教授と約束を取り付けて、カフェやランチをしながら話すことが当たり前だった。

そして、研究で一番困ったこと。
大学院でのワタシの研究テーマは「日仏の表現教育の比較」。「日本の子どもたちは自己表現が苦手だけれど、フランスの子どもたちは自由に自己表現をしているように見える。じゃあ、学校教育にどんな違いがあるのだろう?」と。

日本にいた頃は、研究目的で学校現場に入ることは、比較的簡単にできた。大学の同級生だった友人に授業見学を頼んで上層部に話を通してもらったり、自分の元勤務校に事情をお伝えして、お世話になったこともあった。

サン=マルタン運河沿いのカフェ。暑かったので、直射日光を避け室内で。

でもフランスは、安全上の理由から、保護者でさえも学校内に入ることは難しい。子どもの送り迎えも、学校の前で行われる。

だから、研究が理由であっても外部の人間が校内に入れることはほとんどないので、知り合いに協力を頼んで、声をかけてもらう。でも、授業見学できる学校が一つも見つからない。マズイ、これでは論文が書けない…

結局、なんとか3ヶ月後に、論文の要旨締め切りギリギリのタイミングで、当時学生として大学に通っていた現役教師を紹介してもらい、1日だけ授業見学をさせてもらうことができた。指導教官のツテを使っても、可能だった授業見学は、たった1校だけだった。

小学校の入り口。授業終了時間に合わせて、親が迎えに来る。(一定年齢まで子ども一人では自由に登下校できない)

「アタリマエの破壊」に追い討ちをかけたのは、2008年の大学スト。

大学の入り口はバリケードが張られて、図書館にもアクセスできず、国の教育制度に反対する教授の授業は突然休講、それでも学生の学ぶ権利を守ろうとしてくれた教授の授業は、大学周辺のカフェで行われた。

留学するまで、あんなにあったエネルギーも目標も、すべて消えてなくなった。自分は一体どこに向かっているのだろう、これをやってなんのイミがあるのだろうと、迷子になった。

パリ第IV大学(現ソルボンヌ大学)入り口。大学ストの時には、この入り口にバリケードが張られ、中に入ることができなかった

結局、ワタシのパリでの世帯主だった友人から、突然アルザスに引っ越すと連絡がきて、それ以上パリに籍を置くことが難しいとわかったこともあり、留学を1年で打ち止めた。

数ヶ月後にルクセンブルクで結婚、ルクセンブルクで滞在許可を取得した後は、あんなに好きだったのに、ツライ思い出が積み重なったパリから、すっかり足が遠のいた。

大学院を辞めてから14年、その間パリに行ったのは、右手に入るくらいの数だけ。

ルーブル美術館の廊下。ワタシの好きな場所。

でもパリの魅力は、そんな日常の中に、タイムスリップできる場所が溶け込んでいるところ。
「せせこましい、ストレスフル、しかめっツラ、他人に興味ナイ」、そんな雰囲気でも通りを一本抜けると、突然「世界遺産」が当たり前のように目の前に飛び込んでくる。

このギャップが、おもしろいんだなって思う。

ルーブル美術館。アノ有名な場面。

横の渡り廊下から、ルーブル美術館の中がガラス越しに見える。天窓からの光が明るい

観光地は観光客だらけだけど、観光客だけのものではない。
地元の人も、忘れていた感覚やゆとりを思い出すために、自分をリセットするために、その地を訪れる。

ワタシがよく通っていたのは、ノートルダム大聖堂。パリの真ん中にあって、パリの象徴とも言える場所。
孤独を抱えてツラさに負けそうになると、大学の授業の帰りに寄って中で静かに椅子に座り、素晴らしいバラ窓を見ながら、心を落ち着け、自分を再生していた。

大好きだったノートルダム大聖堂。あんなに大聖堂の内部で心を癒してもらっていたのに、もう建物に近づくことさえできなかった。

それが、2019年に火事で燃えたと聞いて、その当時、大聖堂が燃え盛る映像に目を疑い、ショックだった。それからずっとその事実が心をかすり、今回も現実を見るのが怖いなと思っていた。

幸い入り口部分の正面は、ほとんど残っていたから心を乱さなくて済んだけれど、前は簡単に中に入れたのに、数十メートル手前から工事現場の高い壁が作られ、側面から見ると、正面だけ残っていて、後ろはほとんど何もないことを知った時、痛々しくて、あんなに大好きだった友人にもう二度と会えない感覚になって、やっぱりショックだった。

正面以外、何も残っていなかった現実を目の当たりに。

日本を出れば、日本人はみんな外国人。

ルクセンブルクにいても、フランスにいても、自分は外国人なのに、ルクセンブルクからパリに来た自分は「ルクセンブルクで感じる外国人感」とはどこか別のものをパリで感じた。
やっぱり住んでいると、自分の国でなくても「帰る」という感覚が身につくんだなって思った。

とにかくよく歩いて、パリの地を足で踏み締め、パリの街の空気を吸ってきた3日間だった。

ルーブル美術館横の広大なチュイルリー公園。ワタシはこの公園の散歩が好き。

ワタシの海外生活は、パリで始まった。
始まった頃のパリの印象と、15年経ったパリの印象は、まるで違う。

「キレイゴトも、タテマエもいらない。欲しいのは、ただ現実だけ」

そんな今の自分に、いろんなコトが感覚的に、スーーっと入ってきた滞在だったなと思う。

LV本店の特設カフェから臨むエッフェル塔。

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親子コミュニケーションの専門家 田中響子

親子コミュニケーションの専門家 田中響子

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物ゴコロついた時から、人生ほとんど反抗期!(笑)
外ヅラがいいので一見常識人に見えるため、有名女子中高や官公庁で使ってもらったカコを持つ。
でも本当は、学生時代に「たなかきょーこって珍獣だよね(笑)」と言われ、四柱推命で「あなたは宇宙人です」と言われたことを本領発揮!
そのおかげ?か、ありがたいことに結構子どもにモテるのが自慢♪
その本性がたっぷり出た日々のツブヤキを、ブログで楽しんでいただけたらうれしいです❤︎
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