【「コトバにされていない想い」と空気汚染】
ビジネススクール同期の近況報告会、昨日は1年ぶりにお声がけして、5人で集まった。
2021年1月から半年間の講座の後も、1年ほどは月イチで勉強会を続けていた。
いろいろ悩んで、苦しんで、切り抜けてきたナカマだからこそ、会うたびに「どう変わったか」という変遷が見えて、毎回本当に刺激になる。
ワタシは今年の初夏の頃、「父と娘」の関係に焦点を置いて動いていたので、ビジネス交流会で出会った方たちとも、一時期、男性と個別面談をさせていただくことが多かった。
そして、話せば話すほど「男性だけの座談会で、ホンネを聞いてみたい!」と思っていたので、今回は紅一点・同期の4人の男性に囲まれて、忌憚のない生の声を聞けた貴重な機会、とってもうれしかった。
親子関係、夫婦関係、4人の男性がそれぞれお話してくれたことが、男性陣の中では「あるある」が多かったようで、オンナのワタシは「へー!そうだったの??」という気づきもたくさん、
やっぱりまだまだ見えていなかったことが多かったな、というのが正直なところ。
自分が「親子1on1」を始めたのも、親のキモチと子どものキモチが、すれ違っていたな、と現場で感じていたことが、きっかけだった。
だとすると、「男性だから」とか「女性だから」ではなく、やっぱり人間同士の関わりの中で、全般的に「伝わっていない」のが課題なんだなと思った。
「コミュニケーションはダイジ」と言われるし、それは至極真っ当だと思うけれど、コミュニケーションの方法以前に「相手はわかっていない・相手には伝わっていない」ということを、もっともっと認識することが先なのではないかと、改めて思った。
特に「自分の感情をコトバにして相手に伝えること」は、「相手は興味ない、相手に伝える価値がない、メンドクサイこと」だと思って、言語化することを、つい疎かにしたり、後回しにしてしまう。
でもワタシ自身が、つい最近まで「自己犠牲」を続けていたのは、これが一因だったのではないかと思っている。
「自分がどう思っているか」は自分が思っている以上に「相手にとって、どうでもいいこと」ではない。
むしろそこができないと、お互いが「わかり合っているな」と共感できるコミュニケーションが、始まらないんだなと感じた。
もし「コトバにされていない想い」が目に見えるのだとしたら、多分、空気中にものすごく充満しているのだろう。
その想いが重ければ重いほど、ヘリウムが抜けた風船のように逃げ場がなく、地面にどんどん溜まっていって空気汚染につながり、その空気を日々現代人は呼吸して、体内で循環させているのでは、とさえ思った。
今自分が注力している「親子1on1」、現代の親子関係と課題が、まだまだ根深いことを改めて実感。
「これでいい!」と思えることはゼッタイないんだけど、昨日もらった気づきから「じゃあ、これを少しでもよくするにはどうする?」という、
いつ答えが出るのか、そもそも答えが出るのかもわからない難題に向かっていくのも、どこかで、ちょっとだけ楽しんでいるジブンがいる。
そーいう時に、すぐ「アタマで考えすぎちゃう」ので、せっかくの日本帰国中、「日本社会にすっぽりハマって、自分の感性をフル回転してみよう」と思った。