【わからない「サイン」を掴み取る】
ワタシが尊敬する小売業勤務の彼女は、大抜擢人事で、他部署から部下600人を抱える営業本部長に就任し、その後たった1年で女性初・最年少役員にまで上り詰めた人。
カッコいいのに、気さくで、飾らなくて。
同じ頃にオンサロに入会したご縁で仲良くしてもらっていて、毎日忙しいはずなのに、ワタシが日本に帰るたびに、時間作って会ってもらってて。
「会うと必ず気づきがある」のが、彼女のスゴイところ。
そんな彼女がオンサロにしていた、今朝の投稿。
「自分の苦手なこと、嫌だなと思うことに、しっかり向き合えてなくて逃げてばかりいたけれど、それは、人にも物事にも近寄らないから、逆に苦手意識が生まれるのだ」と。
「逃げても、結局追っかけられたり、避けても、余計わからなくなったり。でもこっちから歩み寄ると、意外と大丈夫だから^ ^」って。
ワタシはこれを読んで、メッッチャ共感したのもあるんだけど、同時に、自分が思春期中高女子と8年一緒にいた(戦っていた?)頃のことを思い出した。
自分も現役女子?代表としていうけど(笑)、女子ってホントにわかりにくい。
大好きな子なのに、恥ずかしくてワザと避けちゃったりするように「思っていること」と「行動」って一致しないこともよくある。
そっけない態度を取る子、近寄ると避ける子、遠巻きに見ている子ほど、先生との接点を探してるんだよね。
心のどこかで、自分にもちょっと振り向いて欲しくて、すっごくわかりにくい、時には反抗期らしい「ネガティブなサイン」を送ってきていたりすることも。
でもこちらは、その「ネガティブなサイン」に「ネガティブな反応」で返しちゃダメで。
まずは「サインを送ってくれて、気づかせてくれて、ありがとう ^^」から伝えることが、ホントにホントに大事なんだって、気づいたんだよね。
サインって、ピッチャーとキャッチャーのように、よっぽど相手と打ち合わせでもしていない限り、基本的には「発信されていること」自体、わからない。
ましてや、自分が出している「それ」がサインだって、出している本人でさえ、わかっていないことがたくさんある。
じゃあ、どうやってわかるかというと、受け取った側が「これはサインだ!」と確信するっていうだけ(笑)。
一番多いのは「なんか違うなぁ… なんかおかしいなぁ?」っていう違和感とか、
「なんかわかんないけど、これは離しちゃいけない!」っていう感覚とか。
いろんな人と接して、いろんな人に向き合っていると、どんどん感性が磨かれていく。
もちろん、人間の感覚だから間違っていることもあるけれど、結果的に自分の勘違いで、若干サムイ思いをすることより「気づいて欲しい」という本物のサインを逃すことの方が、はるかに重大。
だからワタシは、サインを感じたら、追っかけてでも必死で掴み取って、本人に確かめるようにしている。
ワタシの今のシゴトの原点は、ここにある。
今自分が「親子1on1を広めていくことが、自分の使命だ」と本気で思っているのは、ママパパが子どもたちと向き合うことで、「見えない・わからない、お互いのたくさんのサイン」に、もっともっと気づいて欲しい、もっともっと伝えあって欲しいって思ってるから。
身近な関係でサインに気づけるようになったら、そこから家族、友達、職場、さらに世界中で、キモチのすれ違いから起こる争いや悲しい出来事がなくなるのではないか、と思っています。