思春期の子供の関わり方、間違えていない?中高女子校教諭の経験からタイプ別にしてみた!

​ふとした瞬間、ちょっとキモチが弱くなって、「自分が苦手なこと」を思い出して「それがなぜ苦手なのか?」を考えてみたら、結果的に「この瞬間は、受け身でいたいんだ」って気づいた。

「ちょっと落ちてる」この状態を、「誰か」や「何か」で引っ張り上げてほしい。

よく私は「いつも前向きだよね」って言われるけど、前向きに考えることはあっても、すべてを意識的にポジティブにし続けることには、ホントに疲れてしまう。

どこかで、今の時代、自分がポジティブで「自分の流れ」を作らないと、どんどん周りに流されてしまう気がしている。

​でも「意思のある人に流されたい」と、積極的に思うこともある。

例えば、誰かの提案に乗ることで、自分が知らなかった視点とか、アイデアとかに出会えると思っているから。

「この瞬間は、受け身でいたいんだ」って気づいたその時、ふと思った。

みんな「かまってちゃん」になりたいこと、ないのかなって。

今回は、そんなことを、自分自身の過去や経験から、ちょっと軽めのエッセイで考察してみる。

「かまって!」と言えずに育った私

私は「第一子・長女あるある」で、4つ下の弟は手のかかる子だったから、親から物質面で与えてもらってきたけれど、かまってほしい時に「かまって!」と言えず、かまってもらえたことはあんまりない、という自覚がある。

だから、いまだに「かまって!」「助けて!」と人に頼むのがヘタで、相手とのキョリを計りすぎて、一歩が踏み込めない。

その代わり、人とのキョリが目に見えるようにわかり、「視覚から得られる相手の情報」が人一倍多いヒトだから、その人にとっての心理的安全性がどこにあるのか、よくわかるのだと思う。

そんな私が、学校の先生になった。

中高一貫の女子校、学校には「かまってちゃん」がウヨウヨ

わかりやすく「先生〜!見て見てー!」と職員室に遊びに来て、話しかけてくれる生徒もいれば、「先生キライ」って言ってみたり、生活態度が乱れたり、心が不安定な様子を見せたりして、かまってアピールをする生徒もいる。

自分のペースで、きちんと着実に自立しているように見えている生徒だって、周りを気遣いすぎて遠慮しているだけで、本当は「かまってちゃん」

逆に、そこでちゃんとオトナがかまってあげないと、大きくなってから人に頼るのがヘタになる。

自分のキモチを表現するのが怖くて、本当はツライのに表面的に「大丈夫!」「わたしは平気!」を繕うのが、プロ並みにメッチャうまくなる。そう、私のように。

でも、かまってあげるといっても、ベッタリそばにいるだけが「かまう」じゃない

例えば、相手の様子にどこか違和感を感じて、「どうしたの?」と声をかけるとか、

子供が悪いことをした時に「あなたは、本当はそんな考えなしのことをする人ではないのに、何も考えずに他の人を傷つけたことが、私は悲しい」と、子供が本当は言ってほしい言葉を、ほしい時にあげる、とか、

子供が「もういいよ!」と逃げるような言葉を発しても、オトナは「いや、よくない!」と見えないその腕を掴んで、正面から向き合って、掘り下げてくれるとか。

たとえそれがお説教として諭すことになったとしても、本当は逃げたかったのに、気持ちの上でしっかり捕まえられたとしても、「相手は自分のことを想ってくれている」っていう「かまい方」もある。

 

「かまってちゃん」を4タイプに分けてみた

「かまってちゃん」って、4象限になっていて、実は2つの軸から、それぞれ対極に2つあると思う。

1つ目は「能動的」と「受動的」の軸

能動的=自分から「かまって」と言える
受動的=本当はかまって欲しいけれど言えない

2つ目は「物理的」と「心理的」の軸

物理的=量・たくさんかまってほしい(回数)・軽いもの(あいさつやスキンシップ?)
心理的=質・とことん向き合ってほしい(深さ)・重いもの(自分の内面に関すること)

注)図はイメージなので、正確な値を基にしていません

子供が生まれた時は、24時間彼ら中心、究極の「能動的・物理的かまってちゃん」だけど、成長するにつれて「能動的・物理的」から「受動的・心理的」に少しずつ移行する。

もちろん、いろんな性格の人がいるし、その時の気分によって変わるから、大人であっても、みんながみんな「受動的で心理的なかまってちゃん」をいつも求めているわけではない。

思春期は、受動的であることも増え、「能動的・物理的かまってちゃん」を早く卒業した子は、「受動的・心理的かまってちゃん」に早く移行する。

でも、同じ「かまって!」であっても、求められていることは全然違うので、大人たちは、子供たちの「かまい方」を変えなければならない。

子供が「ねぇねぇ」と、わかりやすく「かまってほしい!」と言ってくれる場合は返しやすいが、「受動的・心理的」な関わり方を求めている子供に、大人が物理的にちょっかい出したり、「ちょっと、これどうなってんのよ!」って直接的に話題を突きつけて嫌がられるのは、そんな理由だ。

そんな時に欠かせないのが、親として、大人としての、心理的安全性なのだと思う。

親子1on1をする時にもお伝えするけれど、親自身が「子供に何を言われても否定しない」という、大きな器を持って子供を受け止める「覚悟」が必要だ。

かつて中2の生徒面談をしていた時、学校や家庭での生活の様子を聞こうと「最近どう?」と聞いたら、「今自分の中では、”自分の住んでる世界とは何なのか、あの世とは何なのか”がテーマなのだ」と教えてくれた生徒がいた。

普段のその生徒の様子から、そんな話題が出ることは想像もできなかったけれど、一旦、普段の生活の話は横に置いておいて、その子が考える「この世とあの世の世界」について、30分くらいガッツリ話してみた。

「その世界には何が見える?」「その世界はどんな色?」

もう20年も前のことで、詳しい内容は忘れてしまったけれど、「中2の子供の世界」というより「一人の人間の世界」を知った気がした

後日お母様から「先生がウチの子の話にとことん付き合ってくださったことが、本人にはとてもうれしかったようです」と教えていただいた。

本当は、私自身がその子の世界にどこまで付き合ってあげられたのか、心配だったけれど、「あなたの話は受け止めたい!」という私の精一杯の覚悟を、本人もわかってくれたのかなと思うと、うれしかった。

 

オトナだって、みんな「かまってちゃん」でいい。

人はみんな「かまってちゃん」だから、生きているのだと思う。

物理的にも、心理的にも、本当にかまって欲しくないと思った時は、実は、もうこの世に未練がないと思う時だなって思う。

でも、誰にかまって欲しいか、どのくらいかまって欲しいかは、人それぞれ。

「あなたに伝えたい」
「あなただから伝えたい」

そんなキモチを、オトナになっても、安心してぶつけられる場が大切なんだって思った。

信頼している人たちが、お互いに自分の「かまってちゃんタイプ=かまって度合い」を共有しあって、「かまって〜♪」と気楽に言えるようになったらいいな。

ワタシも、自分の信頼している人たちにそう言われたい。

思春期のサインについて知りたい方は、こちらの記事もぜひご覧ください!

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親子コミュニケーションの専門家 田中響子

親子コミュニケーションの専門家 田中響子

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物ゴコロついた時から、人生ほとんど反抗期!(笑)
外ヅラがいいので一見常識人に見えるため、有名女子中高や官公庁で使ってもらったカコを持つ。
でも本当は、学生時代に「たなかきょーこって珍獣だよね(笑)」と言われ、四柱推命で「あなたは宇宙人です」と言われたことを本領発揮!
そのおかげ?か、ありがたいことに結構子どもにモテるのが自慢♪
その本性がたっぷり出た日々のツブヤキを、ブログで楽しんでいただけたらうれしいです❤︎
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